文化財保存修復学科Department of Conservation for Cultural Property

[最優秀賞]
ポリエステル樹脂作品に使用される合成樹脂塗料の劣化に関する基礎研究
飯田恵実
岐阜県出身 
保存科学ゼミ

現代美術作品の多くは制作から一世紀を満たない短い期間しか経過していない。それにもかかわらず、多くの作品において様々な劣化や損傷、消失などの被害が生じている。その理由の一つとして、安価で加工が容易な合成樹脂などといった新素材の利用が挙げられる。合成樹脂などの新素材は、その種類の多さや歴史の浅さから、木材や石材などの自然物とは異なり長期的な保存に関する研究が少ない。

文化財分野においても、保存修復材料としてだけなく、それらを使用して作られた製品や作品の耐久性や保存方法が検討課題となっている。現代美術は作品の体系が多様であるため、古典美術作品のような画一的な保存?修復理念が未だ確立されていない。したがって、様々な作品の調査から特徴?特性を把握し、各々に適した保存?修復について考察しなければならない。今後、現代美術は技法?素材、思想、歴史といった様々な視点からその保存と修復の理解を深め、現代美術の特性を踏まえた保存?修復理念を確立する必要がある。

札幌芸術の森美術館所蔵、マルタ?パン《浮かぶ彫刻?札幌》》はプラスチック樹脂と合成樹脂塗料で構成され、屋外の池に浮遊している作品である。屋外環境下にあるため、温度、湿度、太陽光、生物など様々な劣化要因から影響を受け、塗膜やプラスチック樹脂の剥離、亀裂、浮き上がりなどといった劣化?破損が報告されている。これまでに幾度か修復された記録があり、今後も同様の展示環境下で長期的に展示することを想定すると、更なる劣化?損傷の可能性がある。そのため、長期的保存のために修復材料及び技法の検討が求められている。

本研究では《浮かぶ彫刻?札幌》を主対象とし、主な劣化要因である紫外線や水分に着目し、プラスチック樹脂上の塗料の劣化挙動について検討する。当基礎研究を通して、品の素材?構造理解の第一歩となる考察を得ること、そして新素材を使用した現代美術作品の修復における一つの判断材料となる知見を得ることを目的とする。

劣化実験では、塗膜の変色や粉状化、耐久性の低下、塗膜の崩壊が確認でき、これらは塗料内の主剤であるウレタン樹脂の劣化が原因と考えられる。


佐々木淑美 准教授 評
飯田さんは、3年生の時から研究対象とする現代アート作品や使用する機材についての知識を深め、試行錯誤しながら研究を進めてきました。現代アートの保存修復はまだまだ事例が少なく、方法論も十分に確立されていません。個々の作品に適した修復方法や材料を選定するには、新素材を含む様々な材料に関する基礎研究を蓄積していく必要があります。特に、合成樹脂などといった合成素材は日常品だけでなく現代アートにも多く用いられていますが、一般に天然素材に比べて寿命が短く、その保存はとても難しいといえます。また、劣化機構を理解するには化学の知識が必要です。
彼女は国内外の事例を収集するだけでなく、対象とする作品修の復履歴を整理し、実験のためのサンプルを作成して劣化実験を行いました。また、現地調査も行い、採取したサンプルの分析から実験結果の検証も行いました。このような一連の研究過程から得られた成果は、今後の修復材料の選定において参考となる基礎的知見であり、他教員からも高い評価を得ました。

1.マルタ?パン《浮かぶ彫刻?札幌》

2.剥落片サンプル

3.浸漬実験後試料