大学院Graduate School

[最優秀賞]
習俗継承にまつわる問題への一考察 ―山形県村山地方の供養習俗「ムカサリ絵馬」を事例に
山本亜季(芸術文化専攻 歴史文化)

 「ムカサリ絵馬(図1)」は山形県村山地方の死者供養習俗である。未婚の死者と架空の伴侶とを結婚に関する図柄で絵馬に描き、寺院などに奉納する(図2)ことで冥福を祈る。この習俗は語り手によって説明などに細かい差異が見られるが、寺院を管理する人々の考えに関する調査は少なかった。本研究では「ムカサリ絵馬」を所蔵する寺院の管理者(住職など)に話を聞き、習俗継承に関する現状や問題点を浮き彫りにすることを試みた。
 11寺院12名に対して行ったフィールドワーク調査の結果、この習俗は世相や社会状況など時代の変化に合わせ、その構成要素を変化?多様化させてきたことが分かった。結果、曖昧な輪郭はあっても共通の概念のようなものがない。これはこの習俗の発祥がわからず、「死者を想う」個人的な感情に由来するものであるためと考えられる。また、明確な習俗の定義もなく、主に口伝で習俗が継承されている。結果、習俗観が管理者や寺院、地域の性質などの影響を受けており、寺院ごとに固有の信仰が生まれている。
 絵馬を管理する寺院はそれぞれ抱えている問題や状況が異なるため、それに応じて方針を決めている。つまり、画一的な対応は難しい。ここで大切なのは、寺院が絵馬を継承する、破棄するという行為に善悪を問うのではなく、その寺院が「これからどうしたいか」を聞き、どうすれば目標を達成できるかを考えていくということだ。それぞれの話を聞き、現状を把握し、臨機応変に対応していくことが求められるだろう。
 「ムカサリ絵馬」は「未婚で亡くなった人間」を身近に持ち、「結婚=幸福」という価値観を持つ人間であればだれでも奉納することができる。つまり、今まで間接的にしか関わっていなかった人間が当事者になることもあり得る。
 この「誰でも当事者になりえる」という現象は「ムカサリ絵馬」に関わらず、ありとあらゆる習俗、芸能、文化などにも起こりうる。さらに言えば、情報や現状を知った時点で当事者になっているとも言えよう。文化や習俗を未来に残したいと思うなら、もう「他人事」ではいられない。自分が「価値があるもの」だと思うからこそ、自らの手で守るという覚悟と意識と責任をもち、当事者であると自覚せねばならないのだ。


三瀬 夏之介 研究科長 評
 本研究は山形県村山地方の供養習俗「ムカサリ絵馬」を一事例として、失われゆく習俗、文化全般の継承不全への現代的な反省を促す内容となっている。まずは、形式を持たないからこそ多様であるムカサリ絵馬の民具としてのデータを収集したこと、数少なくはあるが、これまで系統立てられることのなかった先行研究を調べ上げひも付けたことが評価される。さらに民具としてだけでなく、形にならない信仰の具現化としての意味を問うべく、所蔵者、継承者への地道なアプローチが本論文の説得力を強めている。結果、ムカサリ絵馬という風習に興味を持つもの、継承者の絵馬への理解を深める「使える手引き」としての機能を持つものとなっている。
 今後は、この論文の客観的なデータベースを元にして、当事者としてムカサリ絵馬と関わり、信仰の継承を実践していってもらえることを期待して、最優秀賞とする。


謝 黎 准教授 評
 本研究は、担い手や参加者により常時変化する習俗の有様を、「ムカサリ絵馬」を題材に具体的に捉えつつ、数多の習俗に通じる課題(意味、意義、様式等の変化や、継承問題など)を浮き上がらせている。
 これまでの研究史では、「ムカサリ絵馬」を「もの」として調査した研究が多かったが、山本さんは「人」に焦点を当てて、寺院への現地調査を基に、「無形文化」である習俗継承に隠されている問題を抉り出し、供養習俗に限らず、民俗学における継承問題に関して新たな方向性を示したといえる。
 また、「ムカサリ絵馬」にまつわる「怖いイメージ」の流布原因も突き止め、メディアや表現者とのかかわりを分析し、習俗のイメージは外の「まなざし」によって、いかに「創られた」のか、という問題も考察した。
 調査に加え、習俗の存在とその物的断片を新たなかたち(一般公開)で社会に提示した過程と結果を収録できたことも新規性が高いと評価する。

図1. 「ムカサリ絵馬」(若松観音所蔵)

図2.黒鳥観音の「ムカサリ絵馬」掲額風景